『朝鮮詩集』(岩波文庫) Posted on 2024.7.11 12:21 by nino 読了。この本の位置付けは解説の冒頭にある。「歴史の不幸に抗いながら、ひたすらに守り続けたところの、私たち朝鮮人の代表的な精神史であり、最も純粋な意味における感情生活の集約であるとみなすことができる」 金素雲のこの本の訳には問題あるようだし、日本の昔の言葉が多いので読み辛いというのはある。
『路傍』(李光洙) Posted on 2024.6.30 14:08 by nino 路傍(みちのべ)に私はゐる 住ひといふほどの住ひではない ほんの小屋がけです。 往き交ひの誰彼といはず 寄りたいときにお寄り下さい むさくるしい 狭いところぢゃありますが、 ぢきに腰を上げようと ゆっくり逗留なさらうと それはお心まかせです。 私は語り手になりませう ときには興にまかせて歌も歌ふ、 それもお心したいで なにがなんでもお聴き下さいといふのではありません。 生あるかぎり 私はこの路傍を離れますまい、 そして語り手になり 歌を歌ふのです。 通りがゝりのどなたでも 氣の向いたときはお寄り下さい 歸りたければ いつまた歸られてもよろしいのです。
『春の雨』(卞 栄魯) 低くかすかに呼ばふ聲あり 出てみたら 出てみたら づしりと睡り載せた乳色の雲が もの憂げに 且つは氣忙に 蒼空を往き交ふばかり── 喪はれたるなき このさびしさ。 低くかすかに呼ばふ聲あり 出てみたら 出てみたら 遥かな日の想ひ出のやうな 目には見えね 立ちこめた花の香の ゆらぎをのゝく息吹ばかり── 刺されざるに痛む この胸。 低くかすかに呼ばふ聲あり 出てみたら 出てみたら いまはもう 乳色の雲も花の香もあとなく 鳩の脚染める銀糸の春の雨が 音もせで愁ひのやうに降りそぼるばかり── 來ぬ人待つ あてどないこの念ひ。
『南に窓を』(金 尚鎔) 南に窓を切りませう 畑が少し 鍬で掘り 手鍬で草を取りませう 雲の誘いには乗りますまい 鳥の声は聞き法楽です 唐もろこしが売れたら 食べにお出でなさい。 なぜ生きるてるかって、 さぁね……。
『ついぞ昔は』(金 素月) 春秋ならず夜毎の月を ついぞ昔は知らなんだ。 こうもせつないため息を ついぞ昔は知らなんだ。 月はあおいで見るものと ついぞ昔は知らなんだ。 いまに悲しいあの月を ついぞ昔は知らなんだ。